平成の寅さん 見た 聞いた 書いた

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この原地区は山持ちであったのだろう。

<吉本哲郎氏 文章の続き vol3>
 この原地区は山持ちであったのだろう。畑作地帯なのに多くの家がある。江戸時代は、米がお金になっていた時代、昔はお金は米と木材、森は燃料としての炭と薪をとりながらも主に換金する産物であった。また、木材は建築用として、都市に運んで販売していた。昔、山持ちとはお金持ちのことでもあった。
 
 ここ原地区は山で生きてきた村、畑で自給用の野菜、雑穀などで暮らしてきた村。しかし、江戸時代に米がお金として、或いは税金として求められた。明治38年に阿蘇を視察した柳田國男は「阿蘇はこんなに水田が開けているのに、米は税金にとられて米は食べていない。」と、まるで中世的な暮らしのような暮らしぶりを語っている。ここ原地区も例外ではない。
 米を税金で納める風景、これが原井出の築造、用水路の開削による大規模水田の開発である。しかし、原地区は畑作地帯であり、山で暮らしてきたことがうかがわれる。
 恵みをもたらすのが、時には荒れ狂う自然、水、雨、川。古代から恐れおののいてきた水、それでも水を使う人たち、そこに水神がある。渋江氏とは、水使い人たちに安心を届けていたのである。
 では、現代の米とは何か、山、森とは何か、渋江氏のまつる水神とは何か。
 それは、ここ水源村にもあるものを探して、確認し、新しく組み合わせることから始まるのであろう。人が元気で、地域が元気で、貨幣経済、共同する経済、自給自足の経済という三つの経済を整え、元気にしてゆくこと、水源村というイメージをつくりあげていくこと、そこに渋江氏の水神は大きな役割を果たすとは考えられないか。
 みずから調べよ、運命は誰にでも公平に戸を叩く。しかし、調べた人しか詳しくはならない。運命が叩く音に耳を澄まし、戸を開けること、行動すること、子どもたちにここ水源村の元気と誇りを届けてゆくことから始めたいもの。
 元気な水源村であれ、そう願う。
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コメント

地元学やったんですね。私は高知県で地元学を実践しています。高知県でも大方町蜷川小学校で校舎の活用と交流をテーマに取り組みを行っています。夏には親子でキャンプをして遊びました。

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