平成の寅さん 見た 聞いた 書いた

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現代の山とは何か、米とは何か、水神とは何か

 <吉本哲郎氏 文章 vol2>
 原地区に、天地元水神社(てんちげんすいじんじゃ)がある。元は肥前長島の荘とあるように遠く記紀神話の世界、菅原道真、河童の世界、砂鉄などにつながる渋江氏、その渋江氏の祭る水神社である。
 では、なぜここ菊池市水源村原地区にあるのか?
 熊本市在住で民俗を調べている江口司さんは語る。

「破綻が見えない由来の歴史を有する渋江家は、橘諸江を祖に奈良、伊予、肥前と紆余曲折を経て、ここ菊池にやってきた。江戸中期には天草まで乞われて天領富岡に教えにいっていた。塾に習いに来ていたのは天草の庄屋の子息たち。江戸時代後期には日田の広瀬淡窓に並び称されるほど、菊池の渋江氏は水神司祭としてよりも私塾として有名になっていた。水神を祭る渋江というよりも文教の渋江に重きをおいていたのではないか。渋江家文書によれば、そのころ水神信仰を真似し、お札を配ったりする偽者が横行しはじめる。『久留米藩水天宮宮司の真木氏は平真城村(現在の菊池郡大津町)伊勢にある村社真木神社の宮司を務めていたのだが、天地元水神社の影響下で久留米藩瀬下の水天宮の河童信仰を形成していったのだと考えられる。河童相撲考(小馬徹)』 そのように渋江氏の真似をするのがいっぱい出てきたのは間違いないであろう。「でも、そもそも、水に対する恐れと感謝が水神信仰の基本、水は日本の基本である。菊池市水源村原地区にある原井出は、菊池川本流をせき止めたものである。また11キロもの長さと550mものトンネルを掘るという難工事でもあった。井出をつくるのに絶大な信頼を寄せたのが地元の人たち、おそらく、それが原地区への天地元水神社の移転につながる要因の一つではないだろうか。今でも井出に水神を地元の人たちはまつり大事にしている。」
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