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水と光の大地 菊池・水源村

 2005年9月10日 地元学ネットワーク主宰 吉本哲郎氏執筆
【菊池・水源村へ】
 熊本インターから北へ一時間、菊池市の市街地を超え、菊池神社を右手にみながら進む。尾根の道である。尾根に沿って用水路がひかれ、家々があり、下のほうに棚田が広がっている。途中で右手に折れて、菊池川を超える。するとここも尾根の道、用水と田んぼの広がる風景が続く。水源村と呼ばれる地区である。さらに尾根を進むと、用水路を離れ、畑作地帯の原地区となる。
 ここに、平成12年より村の人たちが集まり、考えてNPO法人きらり水源村をスタートさせたのは、平成16年1月のことである。菊池東中学校が閉校したことに伴い、跡地の活用として村の人たちが、NPO法人をつくって管理運営してきた。
 東南の方向に鞍岳(1118.6m)その向こうは阿蘇の西外輪山、1000mほどの高さの高原である。ここに生まれた水が菊池川となって菊池渓谷となり、村人たちに農業用水、飲み水、生活用水を提供しながら、菊池市でいったん集まり、西南に流れ、有明の海に届いている。
 水源村とは、鞍岳と阿蘇外輪山のふもと、海抜200mから500mの尾根の大地にあるところ、湧き水、深井戸に飲み水を求め、川から水を引いて大地に田を開き、米をつくり暮らしてきたところ。菊池の川の深い谷に沿った尾根の大地の集落なのである。
 尾根である。遠き谷より水を尾根に沿って引いて、水なき尾根の大地に田を開いた。
 田をつくり深井戸の飲み水をつくってきた。
 菊池水源の尾根の大地の田んぼとは、人の手が大規模に加わった水の大地なのであった。
 さらに、原地区のように山で暮らしてきたとことであった。炭と薪、時には建築用の木材を都市に出して生きてきたところ。
【暮らし】
 両親は勤め、合間のあいた時間にお米とお茶、自家用の野菜をつくる。田んぼの広さは4反から5反ほど、お茶は1町6反ほど。4軒とか5軒で共同組合をつくり、農業をしている。昔、村の人たちの暮らしを支えた山と米、では、現代の米とは何か、山とは何か、米と山に変わる仕事は何か、これからの菊池水源村の希望はどのようにつくればいいのだろうか。。。
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