平成の寅さん 見た 聞いた 書いた

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事務局紹介② 

①から続く
 ★☆ 風の人から、土の人へ ☆★

 「世界と互して闘う。という団塊の世代の人々に比べて、自分たちの世代は価値観に対して柔軟」と小林さん。「中学校の頃には、『ぼくらの七日間戦争』なんていう映画が出てきたりして「どうして使えない勉強をしなきゃいけないんだろう、なんかおかしいよな」という雰囲気があった。その頃から、夢として漠然と『学校を作りたい』っていうのがあったんです。校舎は日本でも海外でもいい。使える勉強を教える学校」
 大学に入った和彦さんは、大学二年時に、森と水の経済学という一風変わったゼミを選択したのをきっかけに、森づくりや、子どもの野外キャンプのリーダーなどの活動をはじめる。そして思った「これが、使える勉強だよ」。和彦さんの学生時代は、海外への格安航空券が出始めた頃。「長期に世界を渡り歩くバックパッカーまでの気合いがなくても、夏休みを利用して、気軽に海外に行くことができ、そこで、モノや経済以外の価値観にふれられた。
 世界を旅した友人たちの考えにもふれ、『今をエンジョイするのも大事だけど、このまま行くと地球ってやばいよね』という会話が日常的に行われていました」
 1994年からは、NICE(日本国際ワークキャンプセンター)の一員として(現在は監事)、各地で国際ワークキャンプの活動をはじめる。世界中の様々な国の人々と共に、日本の農山村に入り、グループで生活を共にしながら地域住民と一緒にボランティア活動に取り組む汗と涙の国際交流をしてきた。菊池の隣の村である大分県日田市中津江村へも三年に渡って足を運び、このことも縁となって、菊池市の仕事を紹介される。
 「NICEでの仕事を終え、1年半の国内、海外での放浪生活の間、世界の様々な農産漁村で暮らす人々の暮らしを垣間見て、これからの自分の暮らしを、どこで、どうしていきたいのか?を見つめ直し、生きること=暮らすこと、働くこと=世のため、人のため、自分のため、を問い直し、今後はNICE時代のように『風』でなく、地域に根ざした『土』となるような生き方をしたい、と願ってここに来ました。ここには、中学生時代からの夢を実現する校舎があったから」


 ★☆ 軽トラで、技と知恵を訪ね歩く ☆★

 「地元の人と打ち合わせがあるんで、一緒に行きませんか?ちょうどお昼だし。ご飯が食べられるかも知れませんよ」和彦さんの軽トラで水源地区をまわる。集落をまわるのは、事業の計画、準備、視察の受け入れと共に、和彦さんの大切な仕事のひとつだ。時には農作業や山仕事を手伝うこともある。最初に訪れたのは、集落の最上流部である伊牟田地区。一八年前に移住し、ログハウスを建てて訪れる人々を迎える夫妻を訪ねた。 家庭菜園でキュウリやピーマンの収穫を手伝い、茶飲み話をしながら「七月一日からの国際ワークキャンプで、登山道の整備をするんですけど、ここで休憩させてもらえませんか?」とお願い。「いいわよ。それから、烏骨鶏、何匹か交流館に持っていこうか?飼いたいって言ってたでしょ」と嬉しい申し出も。おにぎりも出てきた。
 「やまあい村農場」で、走る豚(放牧豚)を飼っている武藤計臣(けいしん)さん(五一)は、きらり水源村の理事であり広報担当。今回の取材の主旨を説明に行き、原野を走る豚たちとも対面。ドイツからウーファーとして来日しているルイーザにも会う。WWOOFとは、有機農業を体験したい人、あるは安く旅行したい人に金銭のやりとりなしで「一日三時間から六時間程度の労働力」と「食事・宿泊場所」を交換する仕組み。 計臣さんは、本誌「青年帰農」を読んで、WWOOFの存在を知り、1年前から受け入れをはじめたのだそうだ。「労働力というよりは、彼らとの心の交流を通じて精神的に得るモノが大きい」と武藤さん。そしてここでも、「交流館で豚飼ってみるか?一頭やろうか」という話になった。
 「今日、ウサギが来るんですよ」と和彦さんが言う。「動物園ができるなー」と計臣さん。「学校には子どももたくさん集まる。子どもの居場所だから、それもいいですよね」。
 「もうひとり、会って欲しい人がいるんです」という和彦さんと、きらり水源村顧問の来海(きまち)眞也さん(七一)を訪ねた。NPO法人きらり水源村の設立、集落でのグリーンウツーリズム活動にあたり、地元のまとめ役として熱心に動いてくれた。来海さんの家の前には集落の炭焼き小屋があり、子どもたちとの炭焼き体験の時にも力を借りている、シイタケのコマウチ体験の指導者でもある。奥さんのサキさんは、水源村女性部のメンバー。給食室を生かした加工所で、視察者などに向けて「きらり水源弁当」を提供したり、豆腐やこんにゃくを作ったりと忙しい。今も飲み水として使っているという井戸を見せてもらった。
 納屋の裏手にある井戸を、サキさんは「井川さん」と呼ぶ。和彦さんが手をつけると「手をいれたらいけないよ。水神さまがおられるから」とサキさん。今も、毎月一日と一五日には塩と御神酒を供えているそうだ。井戸端にはサキさんお手製の豆腐つくりの道具も並んでいる。井川さんの隣にはわさびが植えられている。「ここは昔、桑室だったところ。うちは蚕種を育てていたんです」と教えてくれた。「私たちでできることなら、食べ物のことも、山や畑のことも何でも教える。今こどもたちに教えとかねば」。帰り際には、シシトウとピーマンを持たせてくれた。
 まちから親子がやってきて米づくりと食べ物を中心に、一年をかけて農山村の生活文化を体験する「菊池おいしい村づくり」、岩下区の伝統芸能を伝える「きらり神楽教室」、農産物の加工や直売、水源地元学による地域資源マップづくり、川辺や滝の整備、山の手入れ、国際交流キャンプの受け入れなど、多岐に渡るNPO法人きらり水源村の事業。それらは、中学校跡地活用問題をはじめ、「よかばい祭(収穫祭)」や世代間交流「だんごサミット」などの地域行事に真摯に取り組む自治力と活性化への住民の願いがあって、はじめて成り立っています。そして、むらの暮らしや仕事をツーリズムという形に加工し、人と人、自然と人とが結びつくことで創造的なことやむらの元気が生まれるのだと和彦さんは言う。
 「交流館に子どもが集まり、集落の人が集まり、外国人もまちの人も集まる。人々の技と知恵、そして情報が集まりはじめています。動物も集まってる(笑)。僕は、今、夢見てきた学校を地区のみなさんと作っているのだけれど、おそらく僕自身は、一生、何もできない人間。できない、できないと言い続けて、水源の人達に何でも教えてもらう。」
 「できると言ったとたんにひとりのものになる。だけどみんなでやればみんなのもの。一緒にやってるんだなーという感動をずっと共有していきたい」

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